続き、その前にフロイト「シュレーバー症例」を読んで

閉じ込められた後の話を書く前に、
シュレーバー症例を読んで彼と私の誇大妄想に関して、
色々考えさせられました。



誇大妄想もシュレーバー程まで行けば、
それは創造行為だと思います。
入院前、躁状態で自転車を漕ぎながら考えたことがあります。
この話は世界の終りとも関係します。



ここで世界の終りと言いましたが、
佐々木中の「切りとれ、あの祈る手を」も最近読了した後に、この言葉を使うのは気が引けます。



勿論当時の私は、エヴァ人類補完計画ではありませんが、
終末思想の幼稚さに気付けていませんでした。



また、佐々木中氏の言うようにホモサピエンスという種が始まってから、
まだ2万年しか経っておらず、
生物の種の平均的なが寿命が400万年という統計から見ても、
人類の世界はまだ続くという確信を現在は持っています。



ところが当時の私です。
自転車を漕ぎながら夢想したのは、
世界に終わりが来た時のことです。
問題の核心は自己が子孫を残すべきかどうかというものでした。
私の結論は、それをしないというものです。



高校の修学旅行に図書館で借りたドゥルーズの「アンチ・オイディプス」を鞄に詰めて行った私です。
フロイトに関して教科書的な知識は持っていたので、
このエディプスコンプレックスではありませんが、
その時、考えたのは子供が私を殺しやしないか、というものでした。



自転車で大宮についてみると、父親が仕事で関わった、さいたま新都心を見れたことに満足し、
帰りも自転車でということには体力的に無理だと感じて、電車に乗りました。
車内で、疲労感と共に鬱症状が襲って来た事を覚えています。



私の妄想、特に世界の支配者たる桂三枝について、
シュレーバー症例を読んで、
パラノイアの迫害者となるものが、
当事者にとってどんな存在か、
シュレーバーにとってはかつての主治医と神だった。



私は急性期が短かったせいか、
誇大妄想から世界の支配者がいるという確信を得るには至ったが、
その支配者からの迫害に苦しめられる経験はなかった。
また、幻覚や幻聴をはっきりと意識することもなかった。



迫害妄想には至らなかったが、
支配者というものがフロイト的に直接父性を象徴するんだと、
読みながら改めて思い知らされた。


私と父との関係である。


ここで退院後私がよく見る悪夢の話をしよう。
それは狂気が私を蝕み、父により再び入院させられるというものだ。
いつも入院が確定した時に目覚める。



フロイトパラノイアのメカニズムとして、
無意識下で同性愛を拒否する命題が働いているという。
曰く、
「私は、彼(男性)を愛する」
この無意識下の否定として
「私は彼を愛していない→私は彼を憎んでいる←彼が私を迫害するからだ」
このように迫害妄想が形成され、
この命題の全否定として、
「私はまったく愛さない→私は誰も愛さない」
この命題は心理学的には次の命題と同値である。すなわち、
「私は自分しか愛さない」
となり、誇大妄想を育む自己愛への固着が生まれるという。



私の誇大妄想が父との関係であるかは今から思い返し、
記憶を捏造するのも考えものなので、
現実世界で父を超える事を考えることにしたい。
それほどまでに私にとって父とは偉大な存在なのかもしれない。


続く