文フリとRise of Planet of the Apes

今日は活動的な一日でした。
9時に起きて、文フリ行こうとしましたが、
まさかの二度寝
12時に起きて、さあこれから、文フリ行くべきか、否かと考えましたが、
昨日、志津Aさんに行きます、と言ったし、
bullotusを誘ったが、断られてしまった手前もあり、
行くしかないだろうということで、行ってきました。



会場についたのは2時過ぎ、もう売れ切れてしまっている本もあるのではないかと、
少しの不安と共に足を踏み入れた流通センター。
いかにも、文化系の人達が集まり、安心のメガネ率と思いながら、
まずは、志津Aさんの「second after」のブースへ。
初対面の志津Aさんは、見るからに優しそうでありながら、
内に秘めたものがある感じの、tweetから伝わってきたとても誠実そうな人でした。
「志津さんですか、クセルクセスです。はじめまして!!
志津さんのヤマカン論をもっと聞きたいです。」
と簡単な挨拶と、
いつもの俺の強引なリプライに答えていただき
ありがとうございます、と伝えることができました。



次なる目的地、アニメルカブースへ、
先程購入した「second after」を見せながら、
志津さんの参加している号をくださいと告げると、
その3冊と、
「一番おすすめは、最新刊の4号です。」
という言葉につられそれも買いました。
アニメルカブースのそばで、石岡良治さんがちらちら視界に入っていたのですが、
言葉をかけることなく、次の目的地へ。



実は「second after」のブースへ行く途中で、ある人物が目に入っていました。
そうです。同い年で同じようなメディア体験を持つ。藤田直哉さんです。
ということで、限界研へ。
藤田さんは、ネット上で見たのと同じ風貌でそこにいました。
twitterでやり取りしたことはありましたが、
実際に話ができる日がこんなにすぐにやってくるとは思いませんでした。
藤田さんには、まず「同い年です。」
「同じようなメディア体験をしてきた者の代表として、
これからも活動していってください。」
「最近藤田さんにretweetしてもらったbullotusは大学からの友達です。」
そして、藤田さんから、FRONT MISSION ALTERNATIVE良かったよね、という話の流れで、90年代後半のスクウェアのゲームの流れについての論考があってしかるべきだ。

みたいな話も聞けて満足でした。



その後、BLACK PASTのブースへ行き、
「本はもう持っているので」
と言いながらフリーペーパーをもらいました。



あと界遊のブースでパラパラ見させてもらったら、
藤田さんとののUSTの記事が載っていて、
売り子の人と「これ面白かったですよね。」
と話し、会場をあとにしました。



文フリ全体の感想としては、もし午前中から行けていれば、
人も多かったろうし、活気も感じられたのかと思う反面、
本を渡してもらうだけで、
志津さんや藤田さんと直接話せたのだろうかと、
ゆっくりできて、目的の本もすべて買えたので、
文フリは午後からでも楽しめました。
でも、次回は二度寝の誘惑に打ち勝ち、
朝から参加するのもいいかもしれませんね。





ここで今回の更新の2つ目のテーマ、
文フリの帰りに見た
猿の惑星 創世記」
の感想です。



この作品は、様々な視点から捉えることのできる、
語りがいのある作品であると思いますが、
そのいくつかを語っていきたいと思います。



まず、目に入ってくる情報から、
Transformerの時も同じような感想を持ったのですが、
これはやはりアニメーション映画の文脈で捉えなければならないということです。
Transformerの場合はロボット、アバターの場合は異星人、
それぞれ、は人とは異なった存在ではありますが、
共に言葉をしゃべります。
Transformerのオプティマスプライムに関しては、
岡田斗司夫さんも指摘しているように演説までしやがります。
しかし、今回は、知能が高まった猿たちが、
コンピュータグラフィックスで描かれますが、
彼らは言葉を話すことはありません。
実際には、ここがこの映画の素晴らしいところで、
ぜひご覧になって私のこの発言にツッコミを入れて欲しいのですが、
続けます。
言葉を話さないチンパンジーの主人公シーザーに対して、
私の視聴態度としては、この場面でシーザーが人間だったら、
どう考え、なんと言葉にするのだろうかと、
ずっと考えながら、終演まで彼の表情を追い続けました。
ここがこの映画のCG技術で成功していると言えるところです。
私だけではないと思います。
多くの観客がシーザーが何を考え、
私たち人間達をどのように思っているのかを想像したことでしょう。
それが可能な仕組みがうまく技術面で達成されていたからです。
それは、シーザーのCGで作られた表情が変化に富み、
いきいきとその感情を観客に訴えかけてきていたからです。



深夜アニメを愛する私としては、
やはり日本の手描きアニメーションと比較してしまいます。
日本にもリアルな人間の表情を描こうとする、
素晴らしいアニメーターたちがいる一方。
特に深夜アニメでは、日本のアニメーションの長い歴史によって醸成された、
記号的な表現で、主人公たちの心情を表現する方法を使う作品が多いです。



また、アメリカへ視点を戻せば、ピクサーも日本とは少し異なった技法ですが、
同じ方法論を使っているように思えます。


私ははじめにこの「猿の惑星創世記」をアニメーション映画だと言いましたが、
正確なジャンルとしては「実写映画」と一般には捉えられています。


このあたりが論を進めるのが難しい点なんですが、
作品世界では、実際に知能が高まった猿が反乱を起こしているわけです。
こういってもうまく伝わらないでしょう。
もっと、わかりやすく言うと、
その猿は実際の猿として、作品内の人間が捉えているということです。
ここがアニメーション映画ではない点です。
アニメーションの登場人物は、その世界の住人です。
実写映画に出てくる猿は本当の猿です。
しかし、ここが二重の詐術になっているのですが、
実写映画の猿はCGで描かれているということです。
映画のVFXの歴史はだいぶ長いものになっていますが、
最初の「猿の惑星」の映画を思い出していただければ、
よくわかるものだと思います。
主人公が墜落した惑星は猿が支配していたわけですが、
彼らは人間とよく似た背格好をしています。
これは技術の問題です。
当時はもちろんCGはなかったわけですから、
特殊メイクをした人間の役者が演じています。
作中では彼らは確かに猿であるとして主人公は接します。
そうすると彼らがそれなりの文明を持っているどころか、
宗教めいたものまで持っています。
これは、画面情報からの要請に感じられます。
確かに彼らは、顔こそ猿ですが、
演じているのが人間なので、骨格は人間です。
となると、人間にとって彼らは、
話すこともできるし、心理学的な要請も働いて、
主人公はあたかも人間と接するようにするのです。



時間を進めましょう。
今回の映画では、
アルツハイマーの特効薬を投与されたチンパンジーの知性が高まるという話です。
やがて彼らは人間に反乱を起こし、
その後の世界が実は、最初に作られた映画の世界です。
ここに矛盾を私は感じる訳です。
確かに知性を高めたれた猿が地球を統治するところまでは飲めます。
しかし、その後彼らの背格好が人間と同じになるのは、
どのような進化が働いたと言うのでしょうか。
ちょっとここまで書いていて、事の本質を見損なっている感じがしてきたので、
もう少し書いて閉めようと思います。
それと、今作の一個前のティムバートン版を観てないので
変なことは言っているだけかもしれません。
私がただ言いたいのは、
今の技術で、最初の映画のストーリーのものを再構成したいと言うことです。
もしかしたら、ティムバートンがすでに成し遂げているかもしれませんが、



とにかくこんな長文になってしまうほど、
私が今回の映画が好きだと言うことです。



私の話に惹きつけると、
シーザーがおじいさんと助けるために、暴力をふるってしまい、
強制的に施設に入れられてしまうところは、
私が無理やり精神病院に入院させられた時のつらい記憶が蘇ってきて、
シーザーの気持ちへのシンクロが限りなく高まりました。



この映画がアカデミー賞のアニメーション部門にノミネートされることはないので、
ぜひシーザーに主演男優賞をあげて欲しいと言っといて、
この更新を閉じようと思います。
長々とした文章を読んでいただきありがとうございました。




最後に文フリで多くの人に出会えた経験はかけがいのないものでした。