岡田斗司夫「遺言」を読んで、自分が何故オタクになったか考えて、そのまま色々昔のことが思い出されて。
トップのテーマは努力と根性と聞いて熱いモノを感じるオタクについてというものだという。
なんで俺がオタクになったのか、この問は間違いかもしれない。
答えが与えられるとしたら、エヴァという作品に出会ってしまたったからといのが多分一番正しい。
それ以外の答えは全て誤りだと言い切ろう。
元々運動が得意でなかった。頭で考えるとおりに体が反応しない。野球をしてもボールをバットで捕らえられない。
でも、頭の中の世界では自由だった。また、スクエアのゲームの中で主人公と一体化した自分も。
私のメディア体験と藤田直哉 @naoya_fujita のそれとの近さに驚いた。
共にスクウェアのゲームに、その中で語られる圧倒的な真実というものを見ていた。
ある意味そこからSFの世界に入っていくのは考えうる道なのだろう。
何故、オタクになって今になっても、新作TVアニメが始まる季節になるとmoonphaseの一覧を見てHDDに予約を入れるのか。
エヴァという体験をもう一度味わいたいというのが一番なのだろうか。
それなら、新劇場版を待てばいいのだろうが、私には鬱屈した思いもある。
@MAEZIMAS の論考を待つまでもなく、エヴァ後の世界に僕は生きていた。
エヴァが与えた与えた世界観に14歳当時の私はいたのかもしれない。
しかし、世界の方は移り変わっていった。
@miyadai の語った90年代後半の世界。エヴァとオウムのシンクロ。
99年に高2で世界は終わると思っていた。
世界は続き20010911。それは私にとって世界の終わりの始まりに見えた。
終わらない世界。
高3の文理選択に最後まで悩み、技術者として生きる道を選ぼうとした。
数学の授業中にウォークマンを聞き、ブルーバックスを読んでいた俺だ。
z会の数学の解答に方程式が表す比とは何かと論考を書いた俺だ。
数学の才能がないのは、高校入試時に数学以外の科目はほぼ満点で数学が26点で合計180点(40点満点5科目)という結果から分かってはいた。
数学が嫌いなわけではない。それとテストで点を取る技術は違う。
高3時は受験勉強はせず、東進ハイスクールの講師達に魅了されていた。
当然1年目の浪人が待っていた。
それでも最初は理系で行こうとした。
しかし、大学で何を学びたいかというと、生物物理学かシステム論、念頭には青土社の現代思想の増刊「システム 生命論の未来」があった。
実際に、河本英夫先生の元に行くのは4年後だ。
それまでの間に何があったか。
浪人一年目は一年後の入試で失敗したらそこで人生が終わってしまうのではないかという切迫感が無意識にあり、
大学へそれも難関校と呼ばれるところへ行くことが自分のアイデンティティを保つために必須のものと思われた。
自らを天才と名乗るような小学生が、それでも当時は少年サッカーの練習をしていた熊谷高校に入れるとは思わなかった。
中学も授業を真面目に受ける程度で、それなりの成績が取れていたので、すぐに熊高という選択肢が現実味を帯びてきた。
そんな中一の時にエヴァと出会った。
エヴァとの出会いは少し変わっていて、本放送時は、アニメよりスクウェアなどのSFCのRPGが一番盛り上がっていた時期でそれに夢中だった。
アニメも普通の小学生並みには見ていた。エヴァも飛び飛びで見ていたのだろう。最終回も食事をしながら見ていた。
その異様な最終回、小学生の私に残っていたのは2点、いわゆる学園エヴァで綾波のパンツが見えたのではないかという点と、
それがコンテに彩色したものに移り変わり、「僕はここにいていいんだ」「すべてのチルドレンにおめでとう」というラストの2点。
そのアニメが再放送されて映画になるというのを周りと言っても、中一なのでクラスの誰かから聞きとりあえず深夜の再放送を録画、日曜の朝の部活から帰ってきて、連続視聴という生活が続いた。
それでも最終回の記憶があったのでどのような流れから、あのラストに至ったのかという漠然とした問があったのかもしれない。
しかし、今思い返してみるとなので、記憶の改変は多大にあるだろうが、最終回を本放送で見てそれが引っかかったから再放送を見たという記憶には間違いはない。
ただパンツが見たいだけと当時の中一の自分を評価しても良いのだが。
黒バックに極太明朝体で書かれたラストカット「すべてのチルドレンにおめでとう」の印象も強かったと弁護しておこう。
再放送を見始め周囲の友人も見ていて、女子生徒が「シンジ君かっこいい」とか言っているのには馴染めない感じを抱いていたのも確かだろう。
再放送視聴時は年も近い14歳のシンジ君に自分を投影していたが、感情移入の対象は作品の監督庵野秀明に移っていった。
どんな中学生だよとも思うが、作品の謎は一応中2で見た旧劇場版で解かれたが、何故こんな作品を庵野秀明は作れたのかという疑問は解かれなかったので当然かも知れない。
私も最初に取り組んだのはエヴァ世界の謎だった。
それを知るために中学生の少ない小遣いで当時乱発されていた謎本をいろいろ吟味して買い、使徒とは何か、エヴァのコアには何が入っているかとかの謎には回答が得られた。
スキゾエヴァンゲリオン・パラノエヴァンゲリオンという2冊の庵野秀明へのインタビュー集に出会ったのが転換点だった。
彼がどんな人物でエヴァにどんな思いを込めたのかその片鱗みたいな物をそこから読み取った。
その後の私の方向性は決まった。
庵野秀明が影響を受けたとされるもの(謎本にはその詳細なブックガイドが記してあった)を読み始めた。
SF小説では最終話のタイトルとなったハリスンの「世界の中心で愛を叫んだけもの」(実際この作品は影響というよりタイトルのカッコよさか)ハインラインの「幼年期の終わり」など
庵野本人がエヴァでやりたかったのは光瀬龍の「百億の昼と千億の夜」だと聞き、この本で夏休みに読書感想文も書いた。
SF小説を読むうちに庵野から少し離れて漠然と将来はSF小説家になりたいとも思い出し、実際書きだそうとして、それが今でもフロッピィディスクに残っている。黒歴史と呼べばいいのか。
ひとりの友人と実際に漫画を書こうということになり、自分が原作を書くといい、交換ノートのようなものも作った。実家の机の本棚にまだある。ごく短い短編を国語教師に見せたこともあった。
SF小説と平行して、アニメも見だした。
当時まだ珍しいTSUTAYAが近所にあったので、庵野の前作のナディアからトップ、王立宇宙軍。
アニメ誌もエヴァ特集の時は買ったりしてたので、ジャパニメーションなるものがあるのを知り、大友克洋、押井守の作品も見だした。
深夜アニメも始まりだした頃だったので、それも見だした。トライガンとかはかなり入り込んでみていた。
そんな私の判断基準はエヴァであったことは間違いない。あのエヴァの体験を今も求めているのかもしれない。
話を戻そう。 @ToshioOkada の「遺言」である。
トップに込められた、オタクであるということの問題。
私にとってはエヴァに出会ってしまったことがその後の人生を決定的に変えたということ。
@hazuma もエヴァについて書いた文章で初めて知った。自分は哲学科へ進んだわけだが。
高校を出るまでは書いた。
中学時代にそれなりに勉強ができたけど、アニメを見たり、アニラジを聞く時間もあったわけだ。
小学生の時には考えられなかった進学校に入ったが、高校の勉強は興味がある分野、生物、世界史、数�Cなどはそれなりに授業も聞いたが、授業中は主に好きな本を読む時間だった。
例のスキゾ・パラノエヴァンゲリオンというタイトル自体が今から見るとあれだが
文中でエヴァのように未完の作品として「カラマーゾフの兄弟」やハイデガーの「存在と時間」が挙げられたことと
@miyadai の本の中でも @hazuma の「存在論的、郵便的」が語られたりしていたので。
ラグビー部を辞めた俺は、図書館へこもるようになる。
エヴァの謎本で、フロイトやユングの精神分析に触れたものや、A10神経などの脳科学に触れたものがあったので、なぜか認知哲学の本を取り出したりした。
@miyadai は音羽のお受験殺人事件で知り、私の中学時代にエヴァと共に衝撃を与えた神戸の連続児童殺害事件について書かれた「透明な存在の不透明な悪意」も読んだ。
その後も @miyadai の本は読み続け、その中にエヴァについて触れている箇所もあった。
自然に彼の依拠する社会システム論にも興味が出て、ルーマンの「社会システム論」を図書館に入れてもらい、授業中に読んだ。
これに関しては文字は追うが理解はできていなかっただろう。
しかし、システム論が頭の隅にあったから。前述の青土社の「システム」に出会えた。
高校を出て河本英夫先生のいる大学へ入るまでを改めて記そうと思う。
熊高は数人であったが東大に入る者もいた。
自分も浪人すれば、東大まではいかなくとも、実際に予備校から早慶コースに無試験で入れますとかダイレクトメールで送られてくる高校なので、目標は高く持っていた。
実際にそういう大学に入る友人もいたし、東進ハイスクールの講師も自分についてくればみたいなことを画面の向こうから言ってたというのもある。
自分はというと、大学入試で初めての挫折を経験しているから、焦りがある。心理的なストレスも強かったんだと思う。
何とかして大学に入るために色々考える。考えても勉強はしない。そんな矛盾した生活を続けていた。
夏期講習でわざわざ東京の別の予備校に行ったり、代ゼミの入ってすぐの模試の結果がそこそこ良かったから、そりゃそうだよね相手は受験勉強はじめたばっかりの現役生多数だもん。
そんな冷静さもない。
AO入試とやらがあるという。一般入試はまだ遠いし。とりあえず、少しでも早く大学に入れるという資格が欲しくて、精神が亢進状態だから。
でも、AO入試で示せる高校時代の活動はない。なら始めようとなる。
社会活動家になろうと思い至るわけです。
ここには複雑な事情があって、予備校の帰りに熊谷の大通りと市役所通りがクロスする一等地がずいぶん前から空地になっていることに気づく。
当時の俺の頭の中ってホントすごくてそれがAO入試と繋がるわけですよ。
少し調べるとそこには、県と市が協力して箱物の公共施設を作る予定になっているらしくて、でも不況が影響して予算が出ないから空き地のまま。
そこで閃いた、市民の人から意見を聞いてそこに本当に必要な施設を作ろうと活動を始めたわけです。
そんなおり、部活のOBの弁護士に話を聞いたら、あるOBが次の県議会選挙に出るという話と、
その人を含めて熊谷にNPOを支援するNPOを作ろうとする集まりがあるとの話を聞いてそこに参加することになった。社会活動家になったわけです。
AO入試の応募封筒にその集まりの資料などを詰めて送りました。
もちろん、不合格。今考えると当然です。その集まりは、二浪時も続けて入院するまで行ってました。
その後の私の迷走は続いて、中学時に一緒に漫画を描こうとやっていた友人が美大を目指しているというのを聞いて、
とにかく何でも、可能性があるものには手を出したいので、自分もと美大の映像科も受けました。アニメに懸ける夢もあったのでね。
問題は精神状態です。とにかく思い付いたら即行動で、大学に入る為に勉強以外のあらゆる方法を考えました。いわゆる躁状態で行動して、疲れると家に引きこもる生活。
体力が回復するとまた頭が回りだして、誇大妄想とも言えるものだったと思う。
自分が置かれている状況を認めることができない状態で、自分の思ったことは必ず正しいから、
家でも思い通りにいかないと家族に手を上げることもあった。親から見るとやはり異常だったと思う。
突っ走ってたからね。自分が正しいと思う方法でとにかく大学に入らないと自分じゃないものになってしまうんじゃないかと恐怖に無意識で縛られてた。
いろんな人に会いに行った、AO入試ではそれまでの自分についても書かなくちゃいけないから、中学にも行ったし、昔の友人にも訪ねていった。
その行動はただ入試のためだけじゃなくて、自分てどんな人間だったのかの確認でもあった。
そうしないと自分の形が保てないのではないかという不安の現れでもあった。すごいストレスを感じてたんだと思う。
頭は回転するんだけど、どれも空回りで結果が見えない。
そんな精神状態は長く続くわけがない。ずいぶん前から親に心療内科みたいなところに連れていかれていて、薬も出された、
躁の時は飲むのを拒否したりもしてた。頭が回っているときに、物事に過剰に意味を読み取るようなことしていたら、神秘体験をするようになった。
大分まえから不眠と言うか興奮しすぎて眠れないことは続いていて、
その日も夜があけて、テレビをつけたら落語の番組がやってて、桂三枝が話をしていて、その話にすごく引きこまれた。
話のテンションがどんどん上がっていく、ふと俺は画面の左上にある時刻の表示が気になりだした。
話が進めば時間も過ぎるから、当然表示も進んでいく。カメラもどんどんアップになっていくから、
そこでこの話はこの時刻の表示とリンクしていて、話の終りになんかとんでもないことが起こるんじゃないか。
そんなことはなかったけど、俺は話の内容は漫ろに、カメラが桂三枝よって行って、最後には時刻の表示を指さしたりしてなんかすごいオチがあるんじゃないかって妄想が膨らむ。
現実はそんなことなかった。でも、俺の興奮した頭はその事を否定していた。
当時の俺は誇大妄想というと話が単純になっちゃうんだけど、世界の法則がどうなっているかにすごい興味があって、
受験の延長上にこうすれば受かるというところから、世界がこういう構造だからこうすればこうなるのような妄想が膨らみがちだった。
自分でルールを発見して、その通りに世界がなっているって感じる経験もしていた。
代表的なのが時計の時報音がなる時がすごく特別な時なんじゃないかというもので、単なる一定の時間が過ぎたということに過剰な意味を読み込んでいた。
一般の人が神秘体験をするときってこんな精神状態の時なんだと思う。
どんなことにも注意が向いて焦燥感がすごいプレッシャーをかけてきて。
桂三枝の落語が終わり納得がいかない感じに包まれていた俺に祖父が運動公園まで散歩に行かないかと誘ってきた。
その運動公園は数年後の国体のメイン会場でそのために建設途中。
そこまで車で行くことになったんだけど車に乗るなり、ラジオからベートーヴェンの第9が聞こえてくる様な感じがして、ボリュームを色々いじっていた。
もう少しで公園が見えてきて、ある思いが湧いてきた。
その公園では数日後の自分の誕生日を祝うために大勢の人がスタジアムで待っているんじゃないかって、
そうとなるとなんか自分を引き止めていたものがはじけた感じがして、走行中の自動車のドアを開けて飛び出した、公園の方へ。
公園の方向には田んぼがあったんだけどそこに飛び込んだ。
まだ、初夏で水田の水が冷たくて、それを感じながらうずくまった。
視点はなんか数メートル上空から自分を眺めているイメージ。
その後水田を進んでいってあぜ道との境に登ろうとして、またあることが浮かんだ。
時間がループしているんじゃないかって、そこで昇り降りを繰り返した。
感覚もおかしくなっててとても乱暴に足をぶつけるように何度も繰り返した。
すると正面の民家にバイクが停めてあるのが見えた。これに乗ってスタジアムへ行くんだなと思ってまたがった。
そんなことをしているうちにだいぶ時間が立っていたのか、
祖父が父に連絡して俺を取り押さえにやってきた。気づいた時には自宅に戻っていた。
そんな神秘体験めいたことを繰り返していて、診察の日にまた、ある思いが湧いた。
診療所の脇の道を向かってくる黒い車に、森元総理が乗っているんじゃないかって、
森元総理については良い印象は持ってなかったけど特に強く考えていたことはなかったと思う。
でも、その思いに取り付かれると自分では制御できなくって、とにかくその車を止めなくっちゃってなって前に飛び出して無理やり止めた。
それを見ていた主治医が、鎮静剤の注射を打ったんだけど、落ち着かなくって
とりあえず、今日は自宅に帰るということになった。
帰る車内、腹が減ってたから父に帰ったら母に何か作ってもらおうって話をしていたんだけど。
車は見たことのない建物の入口について、降りてみるとさっき見た黒い車がここにもあると思って停めてあった車に突っ込んでいった。
そうこうしていると建物の中から白い服を着た男の人が何人か出てきて俺を羽交い締めにして、建物の中へ引きずっていった。
なんかベットに乗せられたから必死に抵抗したらまた注射を打たれて、
今度はある部屋へ連れていかれた。正面は格子が付けられていて、後ろを見ると鉄の扉が閉まった。
ここで俺は半年を過ごすことになった。そんな話でした。続く。