「風立ちぬ」生きることへの問い

宮崎駿最新作「風立ちぬ」を見て来ました。

いつもは作家論などを語ることが多い当ブログですが、

今回は素直にスクリーンに投射されたものだけを語りたいと思います。

主人公は学生時代に関東大震災にあいます。

その時に出会った少女と後に再び会い結婚する。

こんな話です。



主人公は子供の頃から飛行機の設計士になることを夢見ています。

夢見ると言う表現そのままに、

実際に「夢」でイタリアの設計士に会います。

そして、

「私は近眼でパイロットにはなれませんが、
 
 設計士には成れますか?」

と聞き、肯定され、設計士を夢見るわけです。



時間は経過し、

学生時代に設計を学び、三菱で設計士になります。



主人公は劇中度々「夢」を見ます。

そこでは、美しく空を舞う飛行機に乗ります。

この作品の最後も夢の世界で終わります。



ここに一貫した、飛行機に対するあこがれを感じました。



劇中、主人公が紙飛行機を作って飛ばすシーンがあります。

実は僕も小学校から中学にかけて、

紙飛行機を作って飛ばすのが趣味でした。

ここで言うところの紙飛行機とは、

折り紙を折って作るものではありません。

言葉では表現が難しいのでリンクを貼ります。

http://www.kamihikouki.jp/

このサイトでの意味の紙飛行機です。

ケント紙に印刷された飛行機の部品を切り抜き、セメダインで接着して作るものです。

実は、この紙飛行機の実験で中学時代、夏休みの自由研究にしたこともあります。

なかなか、上手に作るのが難しいですが、

細かい作業が好きな私に向いた趣味でした。


どうなんだろう。

男の子って、結構、空に憧れる人多いんじゃないかなあ。

でも、それを持ち続けることの難しさをこの作品を見て思いました。


主人公も最初の試作機は失敗せて墜落させてしまいました。

その心を癒すために訪れたホテルで、

ヒロインと再会します。

そして、二人は恋に落ちます。

彼女は結核で自分の命が短いことを知っています。

その命も主人公の夢へとかけたいと思うから、

主人公の仕事をしている目が好きだと言うんだろうと思います。


この作品を今見るということはどういうことなのか。

宮崎駿の企画書を読みましょう。

http://kazetachinu.jp/message.html

夢に執着する人の狂気を一面では描こうということらしいです。

映像としては美しいものを作りたいと。


主人公も鯖の骨の曲線を見て、

美しい、是非、飛行機の設計に使いたい、と言います。


人間の美しいものへの憧れは、

文化として、一定以上の発達した文明では持ちうるものです。

ロマン主義なんかはその最たる例でしょう。

1930年代の貧しい時代に、美しいものを求めると言うことは、

そんな救いのない時代だけが持ちうる希望といった見方もできると思います。

そんな「矛盾」こそ、大切なんじゃないかと考えます。

宮崎駿は「個人」を描きたいと言いました。

それは「時代」と切り離されたと言う意味ではないでしょうか。

人は生まれる、そして、甲斐無く「時代」に生まれる。

どんな時代にも、そこで生きる個人がいる。

辛い時代でも強く生きる個人がいるということが伝わってくる映画でした。





欄外。

いや〜宮崎駿の伝家の宝刀シケモク吸いが、2013年に見れるとは思いませんでした。

何のことかと思われる方もいらっしゃると思います。

一度消したタバコを、再び火を付けて吸うというやつです。

宮崎駿ルパン三世では、よく次元が車の灰皿から拾い出し、

短いままだとあっちくて吸えないので、

楊枝を指して吸うというやつです。

そんだけ僕ら喫煙者はタバコに支配されているんです。

この作品もいたるところでモクモクやってました。

20世紀を舞台にした映画の良いところはこのスパスパ感です。