The Tiger and Bunny Rises -どんな状況においても自らを認めると言う事-

正義とは何かを問うこの映画で、

その正しさによって私を打ち震わしたのは、

間違いなくファイアーエンブレムだった。

 

現代は如何なる者も、自らを承認してくれる人物を探している。

それは恋人かもしれないし、

家族、友人、同僚、色々な可能性がある。

しかし、より根本的に自分を承認しなければならない人物がいる。

 

自分自身だ。

 

例えば、自分を承認できない人物とはどんな状況に置かれている者のことだろう。

マイノリティと社会から名指しされる者は、

そうでない者と比して、簡単に自らを認めることができるだろうか。

確かに、強い意志を持って、それでも自らを認めようとしても、

社会から不断に、お前のことは認めない、と言われ続けられれば、

その意志が容易に砕かれるに違いない。

 

作中のファイアーエンブレムはどうか。

敵の攻撃により、眠らされたファイアーエンブレムは、

夢の中で自らのトラウマと戦うことになる。

学生時代の保健室。眠る意中の少年の唇に触れるファイアーエンブレム

その少年はファイアーエンブレムがそうしてくると事前に予測し、

罠にはめる為にそこで目を閉じていた。

 

私の話をしよう。

このBlogの読者の方はご存知かも知れないが、

私も精神的な障害と戦っている。

しかも、相手はかなり複雑だ。

試しに私の病名をグーグルなりに検索窓にダブルコーテーション込みで投げてほしい。

 

病名 "気分障害を伴う統合失調症"

 

ネットでは私が書き込んだものともう一人しかいない。

よくヒットする統合失調感情障害とは違う病だと主治医から言われている。

 

よくもまあ、そんな珍しい病気にかかったものだと、

自分を褒めてやりたいが、そうしたからと言って、

明日からの私の生活が改善するわけではない。

 

 

それはさておき、ファイアーエンブレムは、

ブルーローズやドラゴンキッドの声にも助けられ

そして、何より自ら強い意志を固め、

トラウマを過去のものとして葬り去り、

華麗に復活を遂げる。

 

男は度胸、女は愛嬌、オカマは最強。

 

その言葉に全俺が泣いた。

 

 

突然かも知れないが正義について考える。

特に英語で言われる場合の、

ポリティカル・コレクトネスだ。

 

ポリティカル・コレクトネスから見て、

ファイアーエンブレムは圧倒的に正しい。

何だ。俺は男に見えるかもしれない。

でも、男が好きだ。

女性のような格好もしたい。

圧倒的に正しい。

 

そもそも、私が修めた西洋哲学の始まりの地。

古代ギリシャでは、むしろ周りから、

優れた男として認められる為には、

少年を愛さなければならなかった。

 

その後の宗教や法律が間違いを犯したというのは、

20世紀の哲学者が明らかにした。

自らも男性を愛したフーコーの貢献は大きい。

IT業界に身を置くものとしては、

不当な罪を苦にこの世を去った、

アラン・チューリングの名も知ってほしい。

 

最近も任天堂がこの過ちを繰り返した。

 

この世界には様々なマイノリティが存在する。

その一人一人がせめて自分くらいは、

自分を認めってやってもよいと思う。

 

それを周りの社会が決して妨げないよう、私は願う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それ以外の点について。

映像表現は最高でした。

特に、CGでなければ描けない最後の敵。

脚本は細かく張り巡らされた伏線を綺麗に回収し。

手書きとCGのアニメそれぞれが十分に融合した激しいバトル。

期待値を遥かに上回る出来に大変満足しました。