物語を語り継ぐことージャンゴ繋がれざるもの

人はなぜ物語ることを続けるのだろうか?


千夜一夜物語の頃から、それ以前から、

人は物語ることを続けてきた。

現在ある書き言葉、それは数千年のつい最近生まれたもので、

人間は数万年前から言葉を持っていたから、

それまでは語られる言葉こそ、言葉であった。


ソクラテスが著書を残していないことは、

よく知られているが、

今、彼の語りが残るのはプラトンが書き残したからだ。


哲学の始まりからして、

言葉は語られるものだった。

しかし、次第に哲学の舞台は書き言葉へ移っていった。

前世紀にそれを痛烈に批判したのがジャック・デリダだ。

哲学で書き言葉が優位になっていたことを彼は批判した。


ジャンゴ、西部劇の感想になぜ人間の言葉の話や哲学の話が出てくるのか、

ここまで読んで、頭に?マークを浮かべている方が多かろう。


しかし、間違いなくこの映画で物語を語ることがテーマなのではないかと、

私には思えてならなかったから、

こんな書き出しになってしまった。


映画の話にしよう!!


私をそう思わせたシーンについて書く。

賞金稼ぎのDr.シュルツは賞金首の顔を知る、

黒人奴隷のジャンゴを奴隷商人から買う。

ジャンゴは英語は話せるが、

読むことはそれほど出来なかった。

シュルツとともに賞金稼ぎをすることになったジャンゴは、

賞金首の手配書で言葉の読み方を習う。

ジャンゴは映画を通して言葉を身に着けていく、

その成長が描かれる。

言葉を習うシーンで、

ジャンゴの生き別れの妻の名が、

ドイツ人誰もが知るジークフリードの英雄譚で、

ジークフリードが救い出す姫の名前と一致するというので、

ドイツ人のシュルツがジャンゴにこの英雄譚を聴かせるシーンこそが、

私が一番、心を持っていかれたシーンである。

シュルツの話を熱心に聞くジャンゴ役のジェイミー・フォックスの子供のような表情が素晴らしかったからだ。

みなさんも子供の頃、大人から色々な物語を聞いたことがあるだろう。

自分がどんな表情でそれを聞いていたかは分からないが、

おそらく、この時のジャンゴのようにワクワクとまなこをキラビかせて聞いていたんだと思う。

このシーンが実は重要な布石になっている。

ジャンゴが最後の戦いに行くために、

自分は奴隷でないと白人を説得するシーンに繋がるのだ。

読むことすら出来なかった言葉を完全に自分のものにして、

自らを捕えた人を説得する、

胸が熱くなるシーンだ。


タランティーノの描く西部劇とはこういうことだったのか。

ビデオ屋でバイトしながら、

こんなことを考えていたのか、

深く考えられさせるテーマを持った重厚な作品に敬意を表さずにはいられない。