夢と「文学」の可能性

人は何によって生きるのか、「情報」なのか、いや広義の「文学」、さらに言えば「想像力」からもたらされるのではないかという。 
@ssakagami さんの昨日の答えには、いくつも考えるべき点があった。


@wakusei2nd さんの「リトル・ピープルの時代」を読み終えて、考えていたことが、
昨日の @ssakagami さんの「文学」の役目のtweetを読んで、私の中でさらにまとまった。
それはなぜか。先程ある夢を見たからだ。 


@wakusei2nd さんの主張したかったこと、それは、昨日のシノドスのインタビューでも確認できた。
宇野さんに読了直後のリプライでも伝えたが、私はよく父親から、暴力的に私の言動を封鎖される夢を見る。
そして、今日は母の夢を見た。母が車を運転し、私は助手席で、警察の検問に捕まるというものだ。


いきなり夢の話なのだが、私は父に対しては母親の夢はそれほど見ない。
しかし、今日は見た。そして、私の気分障害の症状でもある早朝覚醒で、その内容をありありと体験し目をさました。
私は夢も広義の「文学」いや、「物語」と捉えている。


夢というと @tsuda さんが #life954 の「情報化社会の限界ライン」で話された、
体内にSDカードを埋めこんで、夢の内容を記録して、あとから見れたら最高という話を思い出した。
チャーリーからのそれは精神分析的にヤバいというツッコミと共によく覚えている。


夢は前日の記憶を脳に定着させる際に見るとも言われている。
私も夢日記を書くほどの夢マニアである。明晰夢も見る。
精神病を発症した当時、早朝覚醒躁状態のときは、夢で与えられた「啓示」を実行しようと、
その日をかけて行動し、疲れて帰って来て、うつ状態になって色々と後悔することもあった。


私は夢から「啓示」を受けることが多々ある。そ
れは、前日、得た知識を脳がまとめる作業を行っている最中に起こるから、
夢の内容はその知識に影響される。
今日の場合、 @wakusei2nd さんのインタビューと @ssakagami さんのtweetが元になったのかもしれない。


具体的な夢の内容に移ろう。
前半は、母親とドライブをする夢だ。まず、母親がうっかりと注意を怠った運転をし、私はひやひやする。
その後、正面に段階的に低くなっていく、トンネルの天井のようなところを進もうとする。
案の定、最終的には、それに車の屋根をこする。そこに警察の検問があり、捕まる。


父の夢は、私を抑えつけようとする、権力の象徴のようなものだ。
これに対し、今日見た母の夢は、年をとり、運転に必用な注意力が落ちてきていることを示す。
そんな母を手助けする立場に自分がならなければならないという「啓示」なのだろう。


私にとって父という存在が、今まで大きすぎた。
しかし、今回の夢を見て、母という存在についても考えなければいけないと思い知らされた。
その点は、 @wakusei2nd さんの次の著者「母性のディストピア」とも、関係してくると思う。


私をさらに驚かせたのは、今回の夢の後半だ。
私は大学生で、進路を考えあぐねている。
その時一冊の雑誌との出会いが訪れる。正確には紙の雑誌ではない。
夢なので細かくは描写されてはいなかったが、電子書籍を、汎用的なタブレットで見た。


その電子書籍は、様々な驚きを私に与える。夢の最後で、謎の毒ガスを使うテロリストとの戦闘を経て私は啓示を受ける。
電子書籍が語る物語で、SF的な想像力、確か宇宙船のコアのサーバを船長が見せるというところで夢は終わった。
ここに至るのはひとつのループを挟む。


今回の夢はループを含む。一度目に船長が見せたのは、サーバではなく謎の生物がうごめくコアだ。
しかし、次のループではそれは紛れもなくサーバであり、私が日々の業務で扱う、ラックマウント式のサーバ群だった。


サーバの夢を見たのは、寝る前にNHKのホワイトボックスで、サーバを見たのが影響していると思う。
そして、この夢から得た啓示は、なにか今の仕事、サーバの運用が今回の夢では、
それが宇宙船のコアとして使われているというもで、かなりの飛躍があると思う。


しかし、情報化社会と言われる現在、サーバはデータセンターに収められ、
クラウドで使用されるものかもしれないが、その発展的な使われ方は果てしないものがあるのではないかと、この夢で思い知らされた。


この夢で、今自分がしている仕事は、今後様々な方向性へ向かって行くのではないか、ということを考えさせられた。
最近は将来について漠然とした不安があった。
この仕事を続けて、5年後、10年後の私はそんな自分を認められるか。
しかし、社会の根幹に情報を集約するサーバがなければならない今後。


私の仕事の向かう先は、多くの選択肢をもたらすのではないかと思い。
今の自分を少しだけ認められる気分になれた。
自分の見た夢を「文学」に昇華する人もいるという。
そうなると私は「文学」の可能性に大いにかけたくなる。