あの花最終回見て、俺って・・・

あの花最終回見た。作品を見て自分の昔と今を考えさせられた。


私は三人男兄弟の長男なので3人で遊ぶときは、ゲームのルールを決めたりしていた。
近所の同い年は二人とも女の子で彼女たちと遊ぶときも自分がリーダーだった。
更に言えば、初孫だったので、従兄弟で遊ぶときも自分が先頭に立って遊んだ。


そんな俺はじんたんが他人の様に思えない。
小学校では、他の生徒の気を引くことをしたりして、リーダーではなかったものの立候補で学級委員などもしていた。
勉強はそこそこできたし、何より「天才」を自称するような事もしていた。
体の成長が早かったが、運動はダメで、高学年になると体重も増えてきた。
少年団でサッカーをしていたときのあだ名は「ペレ」だった。
もちろんうまいわけではなく補欠の神だった。
これは振り返るとイジメの一種だったのかもしれない。
ひどい扱いはされなかったが、孤立感はあった。




中学でも勉強はそこそこできた。立候補での学級委員も続けていた。
生徒会の選挙では、思い返すと恥ずかしいパフォーマンスの効いた演説で次点。
でも明らかにリーダーではなかった。
じんたんも小さい集団の中ではリーダーだったかもしれないけど所属する集団が大きくなると、天才も凡才になる。




そのことを思い知らされることになったのが、高校に入ってからだ。
まだ、埼玉にも学区制があって、学区では一番の進学校だった熊谷高校に入った。
まあ、中学でさらにできた人は、近くの某有名大の附属校に行き、生徒会長もそこへ行った。


熊谷高校は数人は東大にも行く様な伝統のある高校だった。
勉強だけでなく、他の才能のある奴もゴロゴロいた。
俺は勉強をやめた。
中学後半から庵野秀明になりたいと思うようになり、彼も中学までしか勉強していないと言うのを真に受けたのもある。
でも、世界史や生物など興味のある科目のみ勉強した。


でも半分、じんたん程ではないが、引きこもりの様になっていたのかもしれない。
学校には近いので行っていたが、3年になってからは屋上で本を読んで過ごすこともあった。
宮台真司と彼を通して東浩紀に出会えたのも大きかった。
このことを自分の思いに言葉を与えられた感じがしたとよく表現している。




その後の俺はこのようになっているとしか表現できないのだが、現実世界ではパッとしない生活をしている。
ショックだったのが、中学の時の同じ部活だった友人が同じ会社で先輩になってたことだ。
こうして書くと恥ずかしいとも感じる。
それが俺が失った3年間の結果なのだろう。


じんたんは突然めんまと再会したことで、かつての超平和バスターズの仲間と再び時を過ごすことができた。
最後には当時のあだ名で自然と呼び合えていた。
このことを自分に引きあわせてみるのはなんと辛いことか。
自分はめんまのような大きな喪失はなかったが、少しずつ失っていったものが堆積していき、その大きさに今、戸惑いを隠せない。


俺の明日はどっちだ!!