虐殺器官読了後のtweet

伊藤計劃虐殺器官読了。大分前に購入していたのだが、もう一つの今敏の死を機会に読みはじめた。
私が患う病で直接的に死が訪れる事はない。
しかし、私が終わる事はある。
狂気に囚われ、私を失う。
それを避けるために、与えられた処方箋は朝晩の服薬と睡眠をとることだ。

伊藤計劃の描いた911後の世界。
私はその日起床後、食卓に置かれた新聞の一面でその夜の出来事を知った。
テレビの生中継でWTCビルが崩れてきたのを見て、携帯ラジオを持って高校へ向かった。
高三の受験対策の授業を尻目にイヤホンから伝えられるGroundZeroからの報告に耳を傾けた。

2001年はキュウイチイチと動物化するポストモダンの年として記憶されている。
この二つが以後の私に色々作用した。
しかし、911の方は次第に日常化していった。
それとともに日々伝えられる国際ニュースも経済に関するモノの方にシフトしていった。

しかし、世界という一つのフィールドで繰り広げられる経済のゲームが産む貧富の極端な格差が原理主義者達のトリガーをじりじりと引かせたのも事実だろう。
そんなキュウイチイチ後の現在を通り越してその先の世界を真摯に語った伊藤計劃はこの世界にはもういない。

私にこの本を読むきっかけをくれた今敏が描いたのは、虚構と現実が入り交じった世界、と表現するのはよそう。
脳内でその二つを区別するのはリアリティだが妄想のリアリティを経験した者が語るのはおかしいだろう。
急性期の私に訪れた狂った世界は確かに言いようの無い奇妙なリアリティを持っていた。

独房のような保護室で私が描いた世界は、世界を裏から操る支配者が統べるという有神論者が語る世界と変わらない、ただその神が位置する場所にいるのが、桂三枝だというだけで普通の一神教だった。

どうしてそう思うに至ったかの過程もやがてつぶやくことになると思うが、問題は虐殺器官である。

あまりに日常になりすぎて、普段意識することも少なくなったが、911は世界の背景でこれからの世界を形成していくだろう。
この現代の問題は私が大学で考えたかった問題ではなかったのかと深く私自身に問い詰める小説だった。

確実に私たちは911以後の世界に住んでいる。
作品ではその一方でヒロシマナガサキ後の世界ではない。
核が使える兵器としてクレーターを地表に穿ったことがこの作品の真の意味の始まりだった。

では私はどうする。こうしてつぶやくのがまず始まりだろう。
その先はこれから時間を賭けて考えたい。
その傍らには伊藤計劃の最後の長編『ハーモニー』があるだろう。
私は伊藤計劃が病の床で描いた病気の無い世界に会うことになるだろう。

虐殺器官 (ハヤカワ文庫JA)

虐殺器官 (ハヤカワ文庫JA)