雨と記憶の飛沫と流れー言の葉の庭ー

新海誠の最新作。

46分間に凝縮された、圧巻のアニメーション技術

見る者の記憶を呼び起こし、スクリーンに吸い込ませる「物語」



この作品には、作品自体だけでなく、

一つの同時上映作品ともう一つこの夏に公開される、

宮崎駿最新作「風立ちぬ」のおまけ映像が付く。

同時上映の「だれかのまなざし」

新海誠が監督する、

娘と父親、猫の関係をテーマにした、

野村不動産「PROUD」とのコラボ作品。

この作品ではアニメーションのディフォルメが若干強めの

可愛らしい雰囲気の中で、

新社会人になって一人暮らしをする娘を、

父親とナレーションをする猫が見守る。


もう一つの「同時上映作品」については、

私が今回伝えたい事ともつながるので最後に改めて取り上げる。


まず、アニメーションの技術的な面ですごく驚いたのは、

全編をとおしての雨の表現だが、

今までは、雨の表現はスタジオジブリにまさる所はないというのが定説だった。

それをことごとく覆したのがこの作品だろう。

監督自身も小松未可子のラジオで、

2回目に見に行く人は、雨の表現だけを見てくださいと言っていた。

ある意味、この作品の影の主人公は雨だろう。

梅雨の始まりから、夏の入道雲が降らす強烈な雨。

その雨が、主人公2人の心情を的確に表している。


監督は言っていなかったが、

もう一つの影の主人公は代々木のドコモタワーではないのかと僕には思えた。

作中ではこのタワーは3DCGで描かれ、

近くを舞う鳥と共に周囲をグルグルとカメラが回りこむ。

物語の一つの始点として度々描かれるこのタワーは考えられる。



実はこのタワーには僕も思い出がある。

予備校生時代、代々木ゼミナールの本校に夏期講習だけ行った時、

この建物が圧倒的なプレッシャーを僕に与えた。

それは、受験というすぐに向かわなければならない目的かもしれない、

いや、それより先を考えることが出来なかった当時の切羽詰まった僕が、

登って行かなければならない頂きのように感じられた。



もう一つ、最近写真を始めた僕が普通のアニメ表現で気になっていたことがあった。

それはカメラを左右や上下に振るPANの時に広角レンズの場合は周辺が歪むというのが現実なのだが、

普通のアニメでこれを表現しているものはなかった。

それを新海誠は東屋での下から上へのPANで見事に表現しきっていた。

このカットだけでも、アニメの未来を託す人として、新海誠が相応しいと思わせた。


彩色の点でも特筆すべきことがある。

これは新海監督が、大成建設の海中トンネルのCMの頃から実践されていることだが、

反射光の表現である。

これについてはパンフレットでも詳細に書かれているが、

アニメの表現を一歩前進さたと思わせた。




次に僕の記憶を呼び起こした事について書いていこうと思う。

作中、ユキノとタカオの距離が近づいてきたと感じさせた場面がある。

それは、先にタカオが東屋でスケッチブックの靴のデザインを書いていたところに、

遅れてきたユキノが後ろから覗きこんだ場面だ。

それに対し、恥ずかしいと思ったタカオは、

「いつもの位置に座ってください。」

とユキノに告げる。

このシーンは二人が雨の日にここで定位置に座って過ごすというのが、

ごく自然なことになったという示唆だと思う。



ここで僕の話をすると小学校の4年生ぐらいのことだろうか。

自然にいつも一緒に下校する女の子ができていた。

ある日、その子に教室で、「帰ろう。」と声をかけた。

そうしたら、小学生の男子によくある、

「お前ら付き合ってるのか?」

などとはやし立てられた事があった。

その女の子と帰ることが、

当たり前になっていたために一緒に下校する様に自然に声をかけてしまった。

こんな二人の関係が自然になるというのが

何か関係が特別になったということの証なんだろう。



もう一つタカオがユキノの靴を作るために、

足型をとるシーンがある。

安心してくれ、

この話は甘酸っぱいものではない。

むしろ汗くさい方の話だ。

高校一年の時、僕はラグビー部に入った。

体格が良かったために、スクラムの一番前のポジション、プロップをしていた。

当時の僕には一つの悩みがあった。

どうしても市販のスパイクが、こうたかばんびろの僕の足に合わないのだ。

それを親父に相談したら、採寸してオーダーメイドのスパイクを作ってくれるところがあるというのだ。

そのおかげで、後のラガーマンとしての生活は快適になったが、

一年の終わり頃、怪我が多くなったのと、

部活に行くより、図書館にこもることが多くなっった僕は自然に退部していた。




是非ともこの映画にはこれを読んだ多くの人に見に行って欲しいので、

内容に深く関わる事は書かないが、

僕が泣いたところだけ記そう。

後半二人の関係にヒビが入ったシーン。

ユキノが走りだそうとするシーンの、

一歩目が踏み出される前にもう僕は泣いていた。

その後、タカオが最後に告げた言葉を聴いた瞬間。

僕の感情は高ぶり、目を閉じてしまった。

そのシーンにどんなものがスクリーンに映し出されたかは僕は知らない。




最後の後述するといった「もう一つ」の同時上映作品、

風立ちぬ」のおまけ映像について、

本編の上映前に鈴木敏夫プロデューサーの直筆の

上映後におまけ映像あるから帰らないでね、との表示があった。

押井監督と鈴木プロデューサー、川上社長のニコ生で押井監督に言われた様に、

鈴木さんは自分の毛筆の文字に自身があるらしいがそのことを置いといて、

内容は素晴らしかった。

宮崎駿1920年代の関東大震災と2011年の東日本大震災を重ねようとするようだ。

関東大震災後日本は本当に厳しいい状況に置かれるが、

その後の太平洋戦争も乗り越えた。

宮崎駿東日本大震災後の僕達にも頑張れるはずだと伝えたいのだろう。

72歳の人のものとは思えないパワーた。

この「風立ちぬ」のおまけ映像を見ながら、

本編の新海誠との事を考えていた。

宮崎駿は先も述べたようにもう72歳だ。

スタジオジブリを継ぐ人が必要とされている。

息子の吾郎監督、自らもやる気満々の庵野秀明監督。

もう一人、新海誠監督はどうだろうか。

少し考えて、すぐに辞めた。

新海誠のフィルムと宮崎駿のそれでは、

根本的な思想が異なっているのだ。

宮崎駿は元がアニメーターだけあって、

手で描けるものは手でという思想が一貫している。

それに対し、新海誠は元が、全部一人でできる人であって、

CG制作、撮影、編集の力も強い。

CGでできるものはCGでと言う思想である。

つまり、二人は世代の差もあるだろうが、

アニメーションについて、異なった思想を持っているのだ。

ということで、宮さんの後は、吾郎監督か庵野秀明監督に任せよう。



本当に心に迫る映画だった。

今後何かの機会があったら、

新海作品に関わってみたいと強く思わせた。